2004年08月06日
知床 世界遺産へ揺れるヒグマの里
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「シリ・エトク」(最果て)とアイヌ語で名付けられた北海道の知床半島が、来年にも世界遺産に登録される可能性が濃厚だ。しかし地元では、自然遺産として保護されてきたヒグマが街に出没する事態も頻発している。“世界遺産特需”を期待する一方で、ヒグマとの「共生」という新たな問題を突きつけられた知床をルポした。 (蒲 敏哉)
■自然遺産では国内で3番目 オホーツク海を見下ろす海岸沿いの街、斜里(しゃり)町ウトロを歩いていると、大きな看板が目に入ってくる。 「ヒグマ生息地域 厳禁! 餌やり・接近」 道ばたには人をまったく恐れないエゾシカの群れやキタキツネたちが顔をのぞかせ、ここが知床国立公園内にあることを実感する。 「人を恐れないのも、シカならいいのですが、ヒグマとなると事は重大。世界遺産として登録されれば観光客がどっと来る。ゴム弾などで対応する自然解説員の手が回らなくなるほど接触の可能性が高くなるのでは…」。知床自然センターの山中正実事務局長は複雑な表情をみせる。 「世界遺産」はエジプトのアブ・シンベル神殿をダム工事から守る運動から発足した。今年五月現在で、「文化」や「自然」などで計七百五十四件が登録されている。先月には熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が文化遺産として登録され、日本でも話題となった。知床は自然遺産として申請されており、来年七月のユネスコ委員会で認められれば、自然遺産では屋久島(鹿児島県)、白神山地(青森、秋田県)に次いで国内三番目となる。 ただ、知床国立公園でヒグマが目撃された件数は一九九五年に百九十二件だったのが、二〇〇二年には五百九十四件と三倍以上に増加した。山中氏は「個体数が増えたのではない。三十年前に害獣駆除目的以外の狩猟が禁止され、人間の怖さを知らない『新世代』ヒグマが人前に現れるようになったから」と説明する。 ■「自然との共生と簡単に言えない」 ヒグマは、国立公園内の人けの少ない場所だけでなく、ホテルや民宿も立ち並ぶウトロの街中にまで出没している。九二年には一件だけだったのが〇一年には三十一件に激増。〇二年六月には、山の高台にあるウトロ小中学校の校庭に、電気牧さくを破って若い雌が現れ射殺された。 上野優教頭は「たまたま運動会の振り替え休日だったからよかったものの、子どもを預かる場所として、ここは自然との共生とか簡単に言える状況ではない」と厳しい表情で訴える。 同校では昨年度から総合学習のカリキュラムにヒグマ対策の授業を導入。知床自然センターのスタッフが着ぐるみを着て、ヒグマに遭遇した際の逃げ方などを教えている。 ■「熊の入った家」被害を逆手に民宿は盛況 ウトロと知床半島の反対の街羅臼(らうす)町。沿岸約五十キロに漁師の住宅が並び、家屋の裏には深い森林が迫る。 「ヒグマが台所に入り込み、一升瓶を抱えて居座られたのはまいった」と民宿「熊(くま)の入った家」を経営する鹿又知子さん(58)は苦笑いしながら振り返る。“事件”は八六年九月発生。傍若無人に振る舞うヒグマに一家七人は二階で恐怖の一夜を過ごした。被害を逆手にとって始めた民宿は全国から問い合わせがある。 別の主婦(63)は「露天風呂に行くときもヒグマを見かけるし、家の近くに出たときは親類の家に泊まる。怖いといえばそうだが、そうやって私たちはヒグマと付き合ってきた」とたんたんとした表情だ。 地元が受ける世界遺産効果について、斜里町観光課は「昨年、知床には年間百五十六万人が訪れた。旅行業者などの推計では、来年登録されれば世界中から注目され、〇八年には二百二十万人の来客を見込んでいる。周辺市町村の期待も熱く遺産登録は道東振興の起爆剤」と皮算用する。 ■観光客10%増で「知床はパンク」 しかし、前出の山中氏は「交通に難のある屋久島、白神山地と違い、知床は既に観光バスがひっきりなしに入る飽和状態だ。登録後10%増加するだけでパンクするだろう」と見通し、こう懸念する。 「道ばたでテントを張るライダー、気軽に菓子を与える観光客をきっかけに最悪の場面はいつ起きてもおかしくない」 この懸念を裏付けるように今年六月、知床五湖でヒグマに遭遇した団体客が近づいて写真を撮るなどしたため危険に陥る事故が発生した。このため、知床五湖では三十九日間という過去最大の全面閉鎖の措置がとられ、現在も入域がごく一部にとどまったままの厳戒態勢が取られている。 こうした状況に環境省の担当者は「昨年度、自然公園法が改正され、無秩序に人が入り込むことを避けるため、利用調整地区を設けることができるようになった。世界遺産への登録が見込まれる知床がその第一号となる可能性は高い。一日当たりの入場制限を設ければ、ヒグマとの過剰な接触がコントロールできるのでは」との見通しを示す。 ■クマとの遭遇全国で相次ぐ ただ、今年は知床に限らず、全国でクマとの遭遇による事故が相次いでいる。五月八日に岩手県で登山客四人がツキノワグマに襲われ一人がけが。六月五日、群馬県の尾瀬ケ原で二人が腕などをかまれた。二十七日には広島県の山中の工場にツキノワグマが入り込み従業員が重傷を負った。専門家はどうみるか。 環境省の担当者は、こう解説する。「森の中の植生が変わり食べ物がなくなったことや、猟銃を持たない人間の存在に慣れてしまったという側面、さらに二、三年前の豊作の年に多くの子グマが生まれ、ちょうど今、成獣になりつつあるという事情もある。だが西日本では絶滅状態で、四国、中国地方もわずかな生息数しかない。保護策が進んだから、個体数が増えたとはとても言えない状況」 東京都あきる野市で「東京ムツゴロウ動物王国」を開園した作家の畑正憲さんは「人間は、自然の中で、恵みをたくさん頂きながら生きている。そうした中でクマに襲われてしまうのは生態系全体の視野で見れば、ごく当たり前のこと。これが国立公園内ならなおさらで、米国のヨセミテ国立公園などでも相当の件数があって試行錯誤の末、問題が解決されてきた」と説明し、知床国立公園が動物と人間の共生に向けた過渡期にあることを強調する。 世界自然保護基金(WWF)ジャパンの石原明子上席研究員はこう訴える。 「国内では二〇〇〇年にヒグマが三百頭、ツキノワグマも千五百頭がスポーツハンティングや害獣駆除名目で射殺され、ほとんどから漢方薬として数十万円で取引される熊の胆(くまのい)が抜き取られている。クマを見かけたというだけで簡単に駆除許可を出せば、熊の胆目当ての届け出が増加する恐れがある。世界遺産をきっかけに、クマをめぐる暗黒部分も明らかにしなければ人とクマの本当の共生は実現しない」 東京新聞 2004.08.01/特集 |
投稿者 eechance : 2004年08月06日 22:47
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